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なぜ今スピリチュアルブームなのか

どうして、東大のお医者さんがスピリチュアル本なんか出版するのか

スピリチュアルは、怪しいオカルトではなかったのか

 

今回は「人は死なない」矢作直樹著を勉強しましょう。

東大医学部教授で医学部附属病院部長でもある矢作直樹さんという権威中の権威である方が書いた本。


 

著者のメッセージは2つです。

現代の自然科学を絶対だと思うな。

スピリチュアルな時代が来る。

 

自然科学、政治思想、宗教の歴史、などの複数の視点からスピリチュアルを真に理解をすることが出来るようになります。これにより、引き寄せの法則やスピリチュアルの思想に対する見方がガラッと変わるはずです。勉強した後には、常識や自然科学という宗教から解放をされ、生き方がちょっぴり変わるはずです。あなたの中で、小さな宗教革命が起こるんです。

 

目次 3つのポイント

1つ目 自然科学という宗教

2つ目 葬式も当然ながら宗教

3つ目 スピリチュアルが人類を次のステージに上げる

 

それでは、

1つ目のポイント 自然科学という宗教

自然然科学という宗教とは、現在認知されている病気のほとんどが、その原因すら解明をされていないんです。DNAについてもほとんど分かっていません。これらは医学に限ったことではなく、現在の科学で解明できることは、本当はわずかでしかないんです。本当のところ現在の科学では、世界について「ほぼ」わかっていないんです。このように科学は全く完璧ではないのに、それらを絶対だと信仰することは宗教と同じと言えのではないでしょうか。現代の科学は、完璧とは言えないのです。

 

しかし、ほとんどの人がそれら科学を絶対だ!と信仰しているのです。これが「宗教」です。例えばヨーロッパでは、昔キリスト教が真理だと思われていたのです。人々はリスト教の教えが全てで、それで世界を分かった気になっていたんです。ですが、世界の真実は本当は違ったのです。

 

今の科学信仰も今までの宗教と同じ流れです。自然科学は真理を提供する!という意味で、かつて宗教が担っていたような役割を果たし、その結果人々は、自然科学に絶対の信頼を寄せているのです。現代の自然科学は、真理を提供しているので、昔の宗教と同じ役割を果たしているのです。しかし、本当のところ世界は、科学ではわからないことだらけ!になるんです。このことから自然科学も一つの思想であり、一つの宗教だということがわかるのです。自然科学は、一つの思想でひとつの宗教です。

 

量子力学では観測すること自体がその粒子のその後の状態に影響を与えることが分かりました。これにより、精神と物質は全く別の概念で、互いに直接関係することはない!という精神と身体の二元論が否定をされたのです。精神と物質は全く別の概念!という考え方は否定をされています。精神と身体を分けて考えるのではなく、最近、精神と物質を区別を捨てず、万物を生命と精神を備えた存在とする考え方が科学者の間にも広まってきているのです。最近では科学者の間でも「精神と物質を区別しない。」という考え方が広まっているのです。

 

この考え方は、東洋思想、つまりブッダの思想と同じです。引き寄せの法則なども精神と物質を区別をしないという同じ考え方です。このように一見すると非科学的な内容の話を最初に提唱しだしたのは科学者たちになるんです。このようなをオカルト的な内容の話をしだしたのは科学たちになります。

 

例えば、ニールボーアやハイゼンベルクといった最近の素粒子物理学者の世界観は、万物の一体性と、相互関連性を指摘しており、この世界観は東洋思想と重なります。最近の物理学者の世界観は、ブッダの思想、つまり東洋思想と同じなんです。東洋の宗教思想において、直感的に理解をされていた「ワンネス」という概念は、量子力学の発展により科学的なアプローチがされるようになってきたのです。簡単に言うと、物理学者が科学的に東洋の宗教を説明をしだしたのです。

 

科学と宗教の境目がなくなってきたのです。科学が主張している内容と宗教が主張している内容が重なってきたのです。そんな中、まだまだ多くの人が今までの科学的方法論によって、解明できない領域なので、存在しないかのように考えているのです。しかし、本来、自然科学の領域とは、空間・時間・物質・エネルギーの領域です。だから本当は、精神世界のことについては今の自然科学で解明ができていなくて当然なのです。「現代の科学で解明できないことも確かにあるよね!」という姿勢が自然なんです。現代の科学で証明できないことはもちろん世界にたくさんあるよね。これが正しい世界の見方です。

 

解明できない=この世に存在しないという考え方はダメなんです。これでは人類の発展を阻害してしまいます。中世において文明の発展が長く滞ったのは、キリスト教の信仰が強かったせいです。1つの宗教を強く進行することで、文明の発展が障害をされるんです。現代も同じで極端な科学信仰は、歴史が示すように文明の発展を遅らせます。このような自然科学への信仰をアメリカの哲学者、ヒューストン・スミスは科学主義と呼んでいます。

 

著者の矢作さんも実際の医療現場において、科学的に考えてもすべてが解決をするほど現実は甘くはない、単純ではないことを痛感するそうです。科学の進歩はめざましい!とはいえ、人間がこの世界について知っている事は、まだまだほんの少しだけ!というのが事実なのです。だから、普通に考えると怪しいスピルチュアルな内容にも心を開かなければならないのです。自然科学がここまで発展をしたのも、最初に勇気ある人たちが胡散臭い事柄に心を開いたからなのです。

 

天動説・地動説の話も当時の人にとっては、とても胡散臭い話だったんです。電気の存在だって最初に提唱されただけは、極めてオカルト的な内容でした。心を閉ざしてしまうと人類の発展は望めません。よって僕たちも、自然科学も、一つの宗教であるという意識を持ち、「新しいものに心を開かなければならない」のです。自然科学も一つの宗教なので、それを盲信することはやめましょう。

 

繰り返しますが、自然科学の信仰は、一つの思想そうであり、一つの宗教に過ぎないのです。絶対信仰を捨てると、いろいろなものが見えなくなり、害を及ぼし始めます。本当は現代のほとんどの人が信じている科学信仰の世界観と世界の真実の姿はとても違うのです。真実の世界というものは、僕たちが思っているような世界観とは違うものです。自然科学という宗教にどっぷりつかっていると世界の真実は見えないということです。現代の自然科学は絶対だ!と考えることで世界の真実はどんどん見えなくなるのです。科学も宗教ですが、みんながイメージする分かりやすい状況も日常にたくさん見受けられます。これらもどっぷり浸かって、当たり前の状態になると、真実を見えなくさせる恐れがあるのです。

 

そこで次のポイント

2つ目のポイント 葬式ももちろん宗教

著者の矢作さんは自然科学も一つの宗教であるという意識を持つことが重要だと言っていますが、このメッセージには「常識を疑え」というメッセージも含まれているんです。当たり前のこととして世間に通用しているもの、それらはすべて、ある種の宗教と言えるんです。当たり前として、社会に存在するものそれらすべてが宗教です。

 

ホリエモンもよ言っていることですが、「常識も一つの宗教」です。現在では科学が最も信用できるというのは常識になっています。だから、絶対宗教になってしまい逆に、真実を見えなくさせる恐れがあるんです。現在では、自然科学が絶対宗教になってしまっています。矢作さんは、このようなものすべてに警笛を鳴らしているのです。

 

当たり前のこととして受け入れられている冠婚葬祭もその対象です。はじめの宗教は政治とも金銭とも組織とも無縁なものでした。しかし、徐々にこれらに毒されていくんです。現代の宗教は、政治・金銭・組織と密接に関わっているんです。教団は、自らの権威を誇示するために、豪華な聖堂を立てたり、その宗教が誕生した当初には存在しなかった冠婚葬祭を始めとする様々な儀式を発明をしてきたんです。冠婚葬祭は、教団によって発明をされたものです。

 

ブッダは生前、弟子に対して「お前たちは私の遺骨の供養にかかずらうな!正しい目的のために努力せよ」と言っています。ブッダが言ったことは明快で、遺骨供養など無意味だ!と言っているんです。ブッダは弟子にはっきりと「供養をするんじゃない!」と言っています。簡単に言うと、ブッダやキリストなどすべてのマスターたちは、誰1人として冠婚葬祭など勧めていないということです。

 

冠婚葬祭などはすべてビジネスとして、徐々に作り上げられてきたものです。当たり前のこととして誰もが受けいるでいるが、これは商売をされているのはわかりますよね。ちなみにこれらを全て否定をしているわけではありません。ビジネスの法律は価値提供になります。だから、サービスを受けた者に対して価値を提供していれば悪いことではないんです。しかし、冠婚葬祭はビジネスである以上、絶対にやらなければならない!というものでは決してありません。

 

自分が欲しい価値に対してだけ、サービスの対価を払えばいいのです。これが冠婚葬祭に対する世界をフェアに理解した人の姿勢です。これらから著者の矢作さんも冠婚葬祭などの儀式らしいことは一切しない!と言っています。このような姿勢になるのは、世界の心理に対する理解が高く、宗教を必要としないからです。著者の矢作さんは、世界の真理に対する理解が非常に高い方です。だから冠婚葬祭などの儀式らしいは一切しません。

 

このように当たり前のこととして成り立ってしまっている。これら全てが宗教だということです。宗教になってしまうと社会に害を及ぼす可能性が出てくるのです。インドの哲学者で元大統領のクリシュナンは、「私たちに必要なのはキリストのごとく、神を生きている人間であって、キリストの教派ではない。」といいます。マザーテレサも同様のことをいいます。キリストに近づこうとしている人たちにとって、キリスト信者たちが最悪の障害物になっていることがよくあります。言葉でだけ綺麗なことを言って、自分は実行していないことがよくあるからです。宗教としての地位が確立され、当たり前のことになると人間は他の可能性に目を向けなくなってしまうんです。これが人類の発展を阻害をし、世界の真理から遠ざけてしまうんです。

 

いかなる宗教にも囚われず、心を開いている人にとって量子力学の世界観やスピリチュアルな世界観を持つことは、本当はとても自然なことなのです。宗教にとらわれず、心を開いている人にとってスピリチュアルな世界観はごく自然なことなのです。簡単に言うと、ある種の宗教に対する絶対信仰をやめればスピリチュアルが腑に落ちる!ということです。スピリチュアルはしっくりこないのは現代の宗教つまり自然科学という宗教にどっぷりつかっているからです。

 

うわぁスピリチュアルとか超怪しい

なんかの宗教でしょ?

 

と思う人こそ、宗教にどっぷりつかっている可能性があるのです。

 

 

つづいて、最後のポイント

3つ目のポイント スピリチュアルが人類を次のステージに上げる

今世界中で注目されるのがスピリチュアルになります。スピリチュアルをグーグル検索すると、政治的イデオロギーと出てきます。スピリチュアルは政治的イデオロギーになるんです。

 

霊魂・霊的現象・霊についての疑念や研究を総称して、欧米ではスピリチュアリズムと呼びます。スピリチュアリズムもその背景に宗教的な基盤があることは確かです。東洋思想の中でも、特に古代インド宗教や仏教から大きな影響を受けています。スピリチュアルは超越的なものと、それに導かれる霊魂の存在を信じる。という点において既存の宗教と同じです。しかし、スピリチュアルは特定の宗教に基盤を置くものではなく、超越的存在とつながることによって、高い理想を実現しようとするところに特徴があるんです。

 

また、霊魂の存在を科学的に証明しようとする点でも、既存の宗教と際立った違いがあるんです。スピリチュアルは、いろいろなことを科学的に証明しようとするんです。それが既存の宗教との違いです、組織のルールに縛られ、過剰な儀式を重んじ、排他的傾向を持つ現代の主要宗教と比べ、スピリチュアルは外に向かって開かれた概念になるんです。スピリチュアルは他の宗教のように排他的傾向を持たず、外に向かってとても開かれた概念になります。

 

言い換えと、既存の宗教は過去に縛られ保守的なのに対して、スピリチュアルはルールに縛られず、新しいものを受け入れようとする未来に向かう考え方です。既存の宗教は保守的なのに対して、スピリチュアルは新しいものを受け入れようとする考え方です。スピリチュアの思想は、量子力学との新たな科学的発見を今までの宗教みたいに否定するのではなくむしろ応援をしているのです。

 

スピリチュアルは、新たな科学的発見に対して否定的な態度はとりません。今後の更なる科学的発見にもプラスに働く思想なんです。既存の宗教の考え方は、既に時代遅れです。ここ400年間ほど続いた、自然科学への絶対信仰は、もう古いのです。霊魂信仰は昔ながらの宗教にもあるので、むしろ時代に逆行していると思うかもしれませんが、スピリチュアルの霊魂の概念は、それとも違うものです。

 

スピリチュアルは、18世紀の欧米でその概念が生まれました。しかも、欧米においてスピリチュアルを主導したのはスウェーデンボルグなどのノーベル賞科学者を含む、優れた自然科学者たちになります。一番最初にスピリチュアルを主導し始めたのは、優れた自然科学者たちになるんです。

 

つまり、科学を追求すればするほど、スピリチュアに向かっていくことになるんです。科学への探求をし続けるとスピリチュアルに行き着くんです。確かに現代でもスピリチュアルは、心理学・宗教学・文化人類学・医学・量子物理学でのさまざまな科学のジャンルを導引した研究になっています。このことからスピリチュアルは、宗教よりも哲学に近いと言えるのです。

 

宗教と哲学の違いは、途中で考えの止めるの宗教、やめないの哲学と言います。

 

スピリチュアルは永遠の探求なので、だから宗教より哲学に近いと言えるんです。スピリチュアルで霊魂は、レベルの高い順に本体・霊体・幽体からなるとされています。分かりやすくいうと、人間はコンピュータを内蔵した着ぐるみを着たようなものであり、魂が高度で着ぐるみとつながり、スイッチを入れた状態になっているみたいな感じです。魂は電気を流し、着ぐるみおよびコンピュータを操作しているということです。着ぐるみが肉体、コンピュータが脳、魂によるコンピュータの活動が精神にそれぞれ対応をします。

 

これは人間を脳内のニューロンによる発火のアルゴリズムに過ぎないとするgoogle の世界観ともひょっとしたら今後つながっていくかもしれません。このようなスピリチュアルが今、広まりつつあるのは自然な流れです。科学の発展から新たな宗教が生まれるといういつもと同じ流れです。歴史は常に科学の発展に合わせて、新たな宗教が生まれているのです。農業の発明によりいう有神論の宗教が生まれました。ニュートン力学などの発見により、自然科学という宗教が生まれました。そして現在では、相対性理論や量子力学の発見で、スピリチュアルという宗教が生まれ、世界で浸透しつつあるのです。

 

もともと新たなテクノロジーによって、生まれた新たな宗教は、そのテクノロジーの発展をさらに加速をさせるんです。よって、スピリチュアルも今後の21世紀が進むにつれて、文明の発展に大きく貢献する可能性が高いんです。人類の発展には、宗教の変化が必ず必要になります。

 

今回は宗教の歴史背景なども出てきたので難しかったとですね。ホモデウスで科学と宗教の歴史についても勉強していきたいものです。この辺を理解することでスピリチュアルが単なるメルヘンなヤバい思想ではなく、いたってまともな思想なのかが分かると思います。

 

 

それではまとめです 

 

1、自然科学という宗教

現代科学は世界について、ほぼ分かっていない

昔はキリスト教だけで、世界を分かった気になっていた

自然科学は、宗教と同じように真理を提供している

自然科学も一つの思想であり、一つの宗教である。

量子力学により、精神と物質は全く別の概念という考え方は否定をされた

ワンネスなどの非科学的な内容の話を最初に提唱しだしたのは科学者である

最近の物理学者の世界観は、ブッダと同じ

物理学者は、科学的に東洋の宗教を説明をしだした

多くの人は科学で解明できない = この世には存在しないと考えてしまう

中世において文明の発展が止まったのは、キリスト教信仰が強かったせいである

自然科学も一つの宗教であるという意識を持ち、新しいものに心を開かなければならない

天動説・地動説も当時は、胡散臭い話だった

現代のほとんどの人が信じている科学信仰の世界観と世界の真実の姿は違う

 

2、葬式ももちろん宗教

当たり前のこととして世間に通用しているものそれらすべてが宗教

常識も一つの宗教

現代の科学は絶対宗教として君臨をしている

そのために真実を見えなくさせている

はじの宗教は、政治とも金銭とも阻止意とも無縁なものだった

冠婚葬祭は、宗教が後々発明をしたもの

ブッダは弟子に葬式なんか必要ないと伝えている

冠婚葬祭はビジネスとして作られたもの

ビジネスである以上、絶対にやらなければならないというものではない

冠婚葬祭はビジネスなので自分が欲しい価値に対してだけサービスの対価を払えばいい

世界の真理に対する理解が高い人は、冠婚葬祭に重きを置かない

宗教としての地位が確立され、当たり前になると人間は他の可能性に目を向けなくなってしまう

宗教にとらわれず心を開いている人にとって、スピリチュアルの世界観は自然なもの

スピリチュアルを怪しいと思う人は、科学宗教にどっぷりつかっている

冠婚葬祭を当たり前と思っている人も、既存宗教にどっぷりつかっている

 

3、スピリチュアルガ人類の次のステージに上げる

スピリチュアルは、政治的イデオロギーである

スピリチュアルは、いろいろなことを科学的に証明しようとする点が他の宗教と違う

ルールに縛られ、排他的傾向を持つ他の宗教と比べて、スピリチュアルは外に向かって開かれた概念

既存の宗教は過去に縛られ保守的なのに対して、スピリチュアルは新しいものを受け入れる

スピリチュアルは、新たな科学的発見を今までの宗教みたいに否定をするのではなくむしろ応援をしている

ここ400年間ほど続いた自然科学への絶対信仰は、もう古い

最初にスピリチュアルを言い始めたのは、優秀な科学者たちである

科学への探求をし続けると、スピリチュアルに行き着く

スピリチュアルは様々な科学のジャンルで真面目に研究をされている

スピリチュアルは永遠の探求なので、宗教より哲学に近い

歴史は、常に科学の発展から新たな宗教が生まれる

相対性理論や量子力学の発見で、スピリチュアルという新たな宗教が生まれた

新たなテクノロジーによって生まれた新たな宗教は、そのテクノロジーの発展をさらに加速をさせる

スピリチュアルもテクノロジーの発展に大きく貢献をする可能性が高い

人類の発展には宗教の変化が必ず必要

 

最後に、今回は自然科学・政治思想・宗教の歴史などの複数の視点から、スピリチュアルに触れました。このアプローチにより、あなたは今までよりも少しスピリチュアルに対する見方が変わったかと思います。ほんの少しでも見方が変われば、今後スピリチュアルな情報に触れたときのあなたの反応が全て変化をします。それにより今まで心を閉ざしていたせいで入って来なかった新しい時代の考え方や価値観というのが入ってくるようになるのです。これらは、今の時代の流れ調和した考え方なので、あなたは今までよりもより生きやすくなると思います。時代遅れの古い宗教の考え方は、役に立たなくなるのは時間の問題です。新しい宗教の考え方に慣れておくことで、今後いろいろな面でうまくいくようになるはずです。

 

ありがとうございました。

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