Pickup

心の処方箋!をあなたに…

 

心を軽くする方法は「ふたつ良いことさてないものよ」です。

あなたがもし、人生最悪だと思った時に癒してくれる内容になっています。


 

癒やしてくれるには、2つのポイントで書いていきます。

1、ふたつ良いことをさてないものよ!

2、真面目も休み、休み言え!

 

 

それではさっそく、一つ目のポイント

1、ふたつ良いことをさてないものよ!

 

「ふたつ良いことさてないものよ」を説明していきます。ふたつ良いことさてないものよというのは、一つ良いことがあると一つ悪いことがあるかもしれないと考えられるということです。一つ良いことがあると一つ悪いことがあります。

 

抜擢された時は、同僚の妬みを買います。

金と地位を手に入れると、それ目当てで近寄ってくる輩が増えて本当の友情ができにくくなります。

恋人が出来て人生最高だと思ったら、しばらくして別れの辛さを味わいます。

 

世の中、なかなかうまくできていていいことずくめにはならないように仕組まれているんです。あなたが手に入れたいと願ったものが手に入らず落ち込んでいるときは、実は手に入らないほうが良かったのかもしれないんです。良いこともあれば悪いこともあり長い目で見ると両者が拮抗しているのかもしれません。「またふたつ良いことさてないものよ」を理解すると悪いことの心の準備もできるんです。悪いことを受け入れる覚悟が出来てきます。人間は同じ苦痛でも前もって覚悟をしていたり、理由がわかっていたりすると耐えやすいものです。

 

そして、その逆もまたしかりです。何か悪いことが起きても視野を広げると、それに見合うだけの良いことが隠れていることが多いんです。視野を広げると、悪いことの影に良いことが隠されていることが多いです。これを知らないから落ち込んだり不満を言ってしまうんです。一般的に病気になるのは、悪い事だと思います。しかし、本当は体からサインかもしれません。考え方を変えなさい。休息を取りなさい!という感謝すべきサインかもしれないんです。もっと言うと自分らしく生きれていないですよ。こうした方が幸せになりますよ!という超貴重なサインの可能性もあります。

 

これと同じような意味で「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」というのがあります。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない!のストーリーを話していきます。

 

ある日、村の賢者に農夫が大慌てで訪ねました。

 

農夫「賢者さん最悪だ!うちの牛が死んで畑を耕せなくなった」

賢者「そうかもしれないしそうじゃないかもしれない。」

 

その翌日、納付の畑のそばに1頭の若くてたくましい野生の馬が現れたので牛の代わりとして捕まえることができました。

 

農夫「賢者さんの言うとおりだ!牛が死んだのは最悪じゃなかった。牛が死んだからこそ新しい馬が手に入った。」

賢者「そうかもしれないそうじゃないかもしれない。」

 

数日後、農夫の息子が馬から振り落とされ足を骨折して、畑仕事が手伝いなくなりました。

 

農夫「あの馬が現れたのは最高じゃなく最悪だ、息子は仕事が出来なくなっちまった!今度こそ最悪だ。」

賢者「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。」

 

数日後、急に戦争が始まり、健康な男を一人残らず徴兵しようと軍隊が村にやってきました。農夫の息子だけが徴兵を免れました。他の若者はみんな戦死する運命なのに、息子はケガのおかげで彼だけ徴兵されませんでした。

 

この話の教訓は、何が起きるかは誰も分からないということです。何が起こったのか自分は知っている!と思い込んでいるだけなんです。人はみな自分は知っていると思い込んでいるだけです。何が起こったのかなんて、本当はわからないんです。日本が高度経済成長できたのは、戦争でアメリカにボコボコにされたからです。戦争に負けたのはいいことだったのか悪いことだったのか、何とも言えないんです。

 

僕たちは、つい大げさに考えてしまい、最悪のシナリオ書き上げます。ほとんどの場合それは間違いなんです。落ち着いていろんな可能性に心を開いてやることで、最悪だと思った出来事も案外そうでないということが多いんです。これは、人がどちらか分からない宙ぶらりんの状態は不安で耐えられない性質があるからなんです。善と悪にすぐに二分してしまうのも同じことです。確かに悪人かもしれないけど、実は善人かもしれません。完全に悪い人はこのように存在しません。僕たちは良くこっちが正義で向こうが悪だと決めつけて、正義面で悪を叩きがちです。ですが、正義を振りかざして人を叩き出すと、その正義が悪であることが多いんです。

 

つまり、一方的に最悪なことなんて本当は存在しない!ということです。最悪だと自分で勝手に思い込んで初めて最悪なことになるんです。世界のすべては自分の主観です。これは何を教えてくれようとしているんだろう、もっと大きな視点で見るとこの出来事のおかげで何かを得るのではないか!このように考えることが大事です。実際に後から考えてみると、あれがあったからこそと考えられることが本当に多いんです。物事はすべて今の自分に必要だから起こっているんです。一瞬、最悪だと考えてしまうような出来事は本当に人を成長させるものなんです。

 

ブッダも「良し悪しを判断するな」と言います。

>>ブッダの思想、【反応しない】ことこそ最強ももし良ければ読んでください。

 

これは良いことであれば悪いことと判断することをやりましょう。人の悩みのすべては判断することから生まれるんです。仕事がうまくいかない!という事実だけなら傷つかないのを仕事がうまくいかないから自分はダメな人間だ!と勝手に判断するから傷つくんです。彼女は全然できないから自分はダメな人間だ!と勝手に判断をするから傷つきます。こうじゃないとダメだ!という思い込みによる判断が悲しみを生んでいます。

 

世間にあふれる情報から、こうでなければいけないと勝手に判断すること。これが妄想です。すべての不幸は自分の勝手な妄想に過ぎません。世間にあふれる情報から、こうでなければいけないと判断していたとしてもただの妄想に過ぎないんです。ついてないなと思ってしまうのもただの妄想です。

 

「ふたつ良いことさてないものよ」と「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」で最悪な出来事は二度と自分の人生には起きないと決めましょう。

 

 

続いて

2、真面目も休み休み言え

 「真面目も休み休み言え」です。欧米人は真剣な場やビジネスの場でも冗談が好きです。彼らから言わせると、日本人は真面目すぎるそうです。たとえば、アメリカでは大事な事件での証人喚問の場面で発言をする際も冗談を言います。そんなことをすれば日本では大バッシングです。アメリカでは、例え相手がどんな人間でも、相手の言い分も十分に聞こうとする態度があるんです。どんな人間でも相手の言い分を一応は聞こうとする態度があるんです。それに対して日本的真面目は、真面目の側が正しいと決まりきっていて、悪い方はただ謝るしかないんです。

 

真面目な人は、住んでいる世界を狭く限定してその中で真面目にやっているので、相手の世界にまで心を開いで対話をしていく余裕がないんです。真面目な人は自分の世界を狭く限定してその中で真面目にやっているだけなんです。対して、欧米人の場合は自分がどんなに正しいと信じていても相手の言い分も聞くべきだ。という態度があります。聞き手に相手に対して心を開くだけの余裕があるから深刻な場面でもユーモアが生まれてくるんです。

 

欧米は普段からいろんな宗教、いろんな人種が入り混じっており、常に価値観の違いにさらされているからです。欧米は自分と正反対の価値観で生きている人と小さい時から教室で言い合いをしているんです。対して日本人の視野が狭いのは、島国で単一民族、単一宗教だからなんです。日本は普段から多様な価値観に触れていないから、聴き手にユーモアや、個性を受け入れる余裕がないんです。SNSで欧米は、滅多に炎上せず、日本ではすぐ炎上するのは、心を開く余裕がないからです。Twitterで欧米はめったり炎上しません。日本はよく炎上します。欧米みたいにいろんな価値観に触れるという日常の訓練が足りていないからです。よって、日本は個性の強いクリエイティブな人、つまり優秀な人には非常に住みづらい国となっているんです。

 

真面目な人は、自分の限定した世界の中で絶対に真面目なので、確かにそれ以上のことを考える必要もなければ、反省する必要もないんです。真面目な人の無反省さは、鈍感や傲慢をもたらします。自分の限定している世界を開いて、自分の思い描けない世界が存在するのを認めることができないんです。つまり、真面目でいようとすることは、狭い世界に住むことを意味して、外の世界や少数意見や個性を攻撃してしまいがちになるんです。真面目な人は少数意見を攻撃してしまうんです。

 

簡単にいうと真面目な人=視野の狭い人ということ

 

あなたを攻撃してくる真面目な人は試合が狭く、新しいものを受け入れようとしない成長を諦めた人です。真面目も休み休み言えの「休み」が大切なんです。休んでる間に人間は他のことを考えます。休みという余裕が視野の狭まった自分の生き方は、意外に多くのほかの道があることを見せてくれます。自分の自由にできる時間が増えれば増えるほど視野は広がり新しいことを思いつくようになるんです。日本人がユーモアに欠けると批判されることと、日本人が休みを取りたがらないということは関連をしています。日本は労働時間が長く、自由な時間が少ないからいろんな思考する余裕がなく、視野が狭くなるんです。それが国全体の生き辛さを作っています。

 

東南アジアのデパートや飲食店の店員は客がいないときはスマホで遊んだり、地べたに座っておしゃべりをして、その人なりに有意義に過ごしています。日本のデパートの転移は考えられません。どんなにお客さんがいなくてもピシッと立っています。これも〇〇すべき!の思考で凝り固まっている例です。客がいなくてどうせ売上が立たないなら何か別のことをして有意義に過ごした方がいいというです。店員はピシッとしてなきゃダメだ!と言う頭の固い思考が日本全体を不幸にしています。僕なら飲食店に行って店員が暇だとしたら、うるさくなければ何をしても、ゲームをしていても何とも思いません。ヒトの目に付かなければ、デパートの店員さんが座ってスマホをいじるのも全然いいと思います。

 

絶対に会社を休んじゃいけない

絶対に遅刻をしてはいけない

母親は小さい子供を置いて遊びに行っちゃいけない

親を尊敬しなければいけない

まじめに生きなきゃいけない

 

このような〇〇してはいけない!のような法律以外の空気が日本は厳格なんです。生活の隅々まで〇〇してはいけないが暗黙のルールとしてあるゴリゴリの単一宗教国になります。日本はゴリゴリの単位と宗教の国です。生物の根本に自由への欲求があり、自由度が減れば減るほど生物はストレスがたまるように設定をされています。また自由度が減れば生産性も下がることが近年の研究でもわかっています。日本は生産性がめっちゃ低い国だというデータもちゃんと出ているんです。

 

日本のYouTubeが世界で一番低評価と押される理由や、ネット上の誹謗中傷が日本で多い理由日本で自殺率が高い理由が自由度の低さにあります。日本のYouTubeで低評価が一番多いのは自由度が低いからです。自分らしく自由に生きていて、やりたいことができている人は人を否定したりあまりしません。自分が不自由だから愚痴や不満が出てネット上で叩く行為に走るんです。日本中が自分らしさを出してはいけない生きづらい空気だから、多くの人のストレスがたまります。自分らしくのびのびと発言をし、行動してもいいという空気がないんです。

 

テレビでちょっとでも失言すると日本中からたたかれます。不倫をすると記者会見を開いて、なぜか全国民に謝らなければいけません。日本は〇〇であるべき、〇〇までしなければならないが厳しすぎるんです。自分たちで出る杭を叩くことで窮屈な社会にして、自ら首を絞めていると言えるでしょう。この少数意見を認めない空気が創造性の芽を摘み、国の変化、成長を阻害しています。少数意見を認めない空気がクリエイティブを減らしているんです。そして、人は自分の創造性を発揮できないと幸福度が下がるんです。生きやすい国にしたいなら、「かくあるべし」という真面目人間をやるのは休み休みにしましょう。かくあるべしという真面目人間はやめましょう。

 

真面目人間で言うと、視野が狭くなり、新たなことを学ぼうとしないので成長せず、みんなの楽しいも奪っていきます。変な意見や少数派の意見を否定しないことで、創造性を張発揮しやすくなり国全体の幸福度が上がっていきます。このように一人一人が「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」という広い視野を持つようにすると、どんどん生きやすい環境が整っていくでしょう。この考え方をすることで、まず自分が救われ自分が救われ出すと自然と他人を救うことになります。そして大勢が他人を作り出すと、最終的には自分がたくさん救われます。日本人は真面目すぎです。もっとふざけて楽に生きていいでしょう。


 

それでは、今回のまとめです。

ふたつ良いことさてないものよ=良いことの陰には悪いことがあるもの

手に入れたいものは実は手に入らない方がいいかもしれない

ふたつ良いことさてないものよ!で悪いことの心の準備をする

悪いことが起きても視野を広げるといいことが隠れている

最悪な出来事は、そうかもしれないしそうじゃないかもしれない

正義を振りかざして、人をたたき出すとその正義は悪である

一方的に最悪なことは、本当はこの世に存在しない

これは何を教えてくれようとしているんだろう?と考える

後から考えてみると、あれがあったからこそ!と考えられることがほとんど

一見、最悪に見える出来事は、ガチで人を成長させる

良し悪しを判断するな

〇〇だから自分は、ダメな人間だと勝手に妄想をするな

すべての不幸は、自分の勝手な妄想に過ぎない

アメリカでは例え相手がどんな人間でも、相手の言い分も十分に聞く

日本的に真面目は真面目の側が正しいと決まりきっていて、悪い方はただ謝るしかない

真面目な人は住んでいる世界を狭く限定して、その中で真面目にやってるだけ

欧米は多様な価値観に小さいと力触れている

日本は普段から多様な価値観に触れていないから、個性を受け入れる余裕がない

欧米は滅多に炎上せず日本ですぐ炎上するのは、心を開く余裕がないから

日本は個性の強いクリエイティブな人には住みづらい

真面目な人は、反省せず傲慢になっていく

真面目な人は、外の世界や少数意見を攻撃してしまいがち

あなたを攻撃してくる真面目な人は、視野が狭い成長を諦めた人だ

休みという余裕が視野を広げ、いろんな生き方があることを見せてくれる

日本は労働時間が長く自由が少ないから、視野が狭くなり創造性が下がる

日本は〇〇してはいけないのような法律以外の空気が厳格

日本はゴリゴリの単一宗教国

自由度が減れば減るほど、生物はストレスがたまるように設定されている

自由度が減れば生産性も下がる

日本のYouTubeは、世界一低評価とされるは社会の自由度の低さにある

日本には自分らしくのびのびと発言し、行動してもいいという空気がない

日本人は自分たちで出る杭を叩くことで窮屈な社会にし、自ら首を絞めている

少数意見を認めない空気が創造性の芽を摘み、国の変化・成長を阻害している

生きやすい国にしたいなら、「かくあるべし」という真面目人間をやるのは、休み休みにする

変わった意見を否定しないことで、創造性を発揮しやすくなり国全体の幸福度が上がる

 

最後に

何が起こるかは誰にも本当に分かりません!今日もしあなたに嫌なことがあったとしてもそれは何かしら将来のプラスにつながっているかもしれません。

 

病気、仕事のミス、失恋、離婚、孤独、貧困、服役、死別、どれも悪いことかどうかは本当になんとも言えないんです。ソクラテスは言います。人間は死ぬことを最悪で、最大の災いであると勝手に決めて恐れている。これは知らないのに知っていると思うという無知の考え方だ。だから私は、「もしかしたら善いことかもしれない死」をはじめからよく分からないのに恐れて逃げることはしない。と…。

  

今回は以上です。

ありがとうございました。

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