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良し悪しを判断するのを止める!

 

 反応しない練習!あらゆる悩みが消えていくブッダの超合理的な考え方を勉強しよう!

無駄に反応せず、幸せに生きる4つの方法

反応しない

心の反応を見る

良し悪しを判断しない

ブッダの教えば宗教ではなく哲学

 

この4つを順番に紐解いていきましょう! 

 

反応しない

将来の不安や人間関係のストレスなど、生きていると悩みは尽きないものだが、あらゆる悩みは心の反応から始まっているものだといいます。そこで無駄な反応をしないことが、悩みの根本的な解消になるというのが本書のテーマになります。無駄な反応しないことが悩みの根本的な解消になるんです。この考えは、2500年以上も前にブッダが説いた悩みの解消法です。

 

無駄な反応しないようにするには、大きく分けて二つの方法があります。

 

1つ目 心の反応を見る

つまり瞑想。二つ目が良し悪しを判断しない。この2つが無駄な反応しないようにするための2つの方法になります。まず心の反応を見るとは、心で反応することで、無駄な反応をしなくて済みます。ブッダの教えの基本は、悩みを理解することから始まります。まず、悩みの正体を考えることが大切なんです。

 

悩みの原因をまずは考えましょう!

 

例えば、職場や家族など周りの人に、イラッとすることが増えてストレスがたまっているとしましょう。それは、周囲の人に不満や物足りなさを感じているからではないでしょうか。そこからさらにさかのぼって、真の理由を考えてみたときにブッダは次のように言います。

 

苦しみをもたらしているものは、快楽(喜び)を求めてやまない、求める心!

 

だということです。苦しみをもたらしているものは、快楽を求めてやまない求める心にあるということです。この求める心には、生存欲、睡眠欲、食欲、性欲、怠惰欲、音や視覚による承認欲といった7つの欲があります。これが満たされれば人は、快楽を感じ、満たされなければ不満が生じます。基本的に人の心は、快、不快の二者択一なんです。

 

人間の心とは、際限なく求め続けるものであり、これにイチイチ反応することがブッダのいう無駄な反応ということになります。大切なのは、心とはそもそもそういうものだと理解をしておくことです。心とは求め続けるものだから、乾き続けるのは仕方がないと理解することが大切です。求め続けるものと理解すると不思議な心境の変化が訪れるんです。このままではいけない!何かが足りない!という負の感情が治って、人生はそういうものだ!これでいいのだ!という大きな肯定が可能になるんです。

 

特に現代人にとって重要なのが承認欲です。人に認められたいという欲求から、他者の目ばかり意識するようになり、嫉妬や劣等感につながってしまうんです。こうした悩みに対しては、認めてほしい!という欲が自分にあることをまず理解しましょう。そもそも家族や世間に認められたからなんだというのだ。と超クールに考えることもできるはずです。自分を認めてほしい、愛してほしい、評価をしてほしいなどの承認欲求を持っていると、周りは期待に答えてくれない人間ばかりなので不満を感じます。自分の求める承認欲求が満たされないと世間は馬鹿ばっかりだ!という怒りの感情が芽生えてしまうんです。自分の承認欲求が満たされないことで世間は馬鹿ばっかりだ!みたいな怒りの感情が生じてしまうんです。

 

つまり、他人の小さなことが目について不満を感じてしまうというのは、もっと自分を認めてほしいという承認欲求なんです。他人の小さいことに不満を感じてしまうのはもっと自分を認めてほしい!という承認欲のあらわれです。じゃあどうすれば求めるものが手に入らないという苦しみから逃れられるんでしょうか。そこで苦しみから解放される3つの方法があるんです。

 

1、理解してラベリングをすること。

まず私には満たされていない承認欲があるんだと理解をすることです。心の状態を見て理解し言葉で客観的に確認するのがコツです。言葉で客観的に確認をします。疲れを感じているな!とかイライラしてるな!へこんでいるな!と言葉にすることで心の状態にラベルを貼って理解してしまうんです。心の状態にラベルを貼って理解をしましょう。その際目を閉じて確認するとより心が落ち着きます。人がなぜ、いつまでも悩みから抜け出せないかというと自分の心が見えないからです。心の渇きの正体がわかるだけで、その不満状態から抜け出せるんです。心の渇きの正体がわかると不満な状態から抜け出せます。まずはニュートラルな目で自分の心を理解するように努めましょう。

 

2、体の感覚を意識すること。

そうすることで苦しみから解放されます。目を閉じてただ体の感覚に意識を集中するんです。目を閉じて体の感覚に意識をただ集中しましょう。これはストレスなどが溜まった心をリフレッシュする抜群の効果があります。足の裏の感覚、肺に空気が入る感覚、外の臭いなど、体の感覚に集中するんです。人体の感覚に集中をしましょう。これは瞑想とも呼ばれています。五感に集中することは瞑想と呼ばれています。マインドフルネスも同じことです。

 

3、頭の中の想いを分類するということ。

思いの仕分けをしましょう。自分のその時の心の状態を貪欲、怒り、妄想の3つに分類するんです。貪欲、怒り、妄想の3つに分類しましょう!「貪欲」に心の状態を分類するときは、求めすぎや期待のし過ぎの時です。人間関係における不満は大体がこの求めすぎる心から来ているんです。「怒り」に心の状態を分類するときは機嫌が悪かったり、イライラしている時になります。「妄想」に分類するのは想像したり思い出したりしている時です。つい余計なことを考えてしまったり落ち着いて物事に取り組めないという状態が妄想に分類されます。

 

この中で妄想が一番厄介なんです。一日中絶え間なく、人間は妄想しています。妄想をリセットするには今妄想していると客観的に言葉で確認をすることです。そして、妄想が止まらない時は、体の感覚に集中をすることです。妄想が止まらない時は、体の感覚に集中しましょう。五感に神経を研ぎすます。悩みは、いつも心の内側に生じます。だから心の内から、生じる悩みを消すには、心の外にある体の感覚に意識を向けることがベストなんです。心の内から生じる悩みを消すには、心の外にある体の感覚に意識を向けましょう。つまり瞑想をしましょう!ということになります。

 

ブッダの考えは、自分の判断を一切せずにあるものをあるとだけ、ありのままに物事を見て、正しい理解をすることを目的としているんです。ブッダの考えは自分の判断を一切しません。あるものをあるとでただありのままに物事を見るんです。正しい理解に反応はありません。ただ見ているだけです。ブッダの教えとは正しい理解によって人間の苦悩から自由になる方法のことなんです。

 

 

2つ目 良し悪しを判断しない!

 良し悪しを判断するのをやめましょう。悩みのもとには主観的な判断がある場合が多いです。あの人はいい人だ、あの人は悪い人だ、このままじゃダメだとか、こんなのくだらないなど、こうした判断はたくさんの悩みを作り出します。物事の善し悪しや正誤を判断すると、分かった気になって気分がいいし承認欲を満たせるんです。仏教的には判断も一種の執着だということです。判断も一緒の執着です!人が苦しみを感じるとき、その心には必ず執着があるんです。人が苦しいときは必ず何かに執着をしています。普通に仕事が上手くいかないという事実だけなら傷つきません。しかしそこから仕事がうまくいかないから自分はダメな人間だと勝手に妄想するから傷つくんです。

 

仕事がうまくいかないから自分はダメな人間だ!この自分はダメな人間だ!というのが勝手な妄想です。それによって自分が傷つくということになります。こうじゃないとダメだという思い込みによる判断が悲しみを生んでいます。世間にあふれる情報からこうでなければいけないと判断していたとしても、ただの妄想に過ぎません。逆説的に言うと仏教が目指す正しい理解とは、正しいと判断しない理解なんです。他人との関係においても、まず自分が判断していることに気づき、人は人自分は自分!と明確な境界線を引くことがブッダの教えのポイントになります。自分や他人に対して、良い悪いという判断をしてもメリットはありません。

 

良い悪いと判断することで苦しみが生じるなら、その考え方を止めた方が良いというこです。判断することで苦しみが生じるならその考え方はやめたほうがいいです。判断から自由になるには「今、判断した!」と気づくことです。判断から自由になるには判断したと気づくことが大切です。

 

失敗したなぁ

これじゃダメだ

あの人は嫌いだ

 

などと思ったときは、「あっ判断した!」と気づいてください。自分のことをも優れているとも劣っているとも判断してはいけないんです。そもそも私たちに誰かを正しいとか、間違っているとか判断する資格はありません。一般的な人の考えている内容は50%は間違っていると言われているんです。

 

では、相手が怒りの感情をぶつけてきた場合はどうでしょう。そこでカっー!となって言い返すと自分も同じ反応することになります。こうした時ブッダは、「正しさとは人それぞれ違うものだ!」と理解をしました。相手の言い分を否定するわけでもなければ、自分の方が正しいと相手を説得するわけでもありません。

 

あなたにとってはそれが正しいのですね!とただ理解をするんです

あなたにとってはそれが正しいということをただ理解しましょう!

 

反応しても自分が苦しむだけなので反応しないことが最高の勝利という合理的態度をとったんです。反応しないことが最高の勝利なんです!相手の感情に反応しないためのコツとして、心の半分を前にもう半分を後ろに使うことをイメージするといいでしょう。

 

前は相手を理解することに向けます。後ろは自分の心の反応見るように意識をします。何かに接すれば心が動き続けるのは当然のことなんです。その動き続ける心を見張ることで、それ以上の反応をやめるようにします動き続ける心を見張ることでそれ以上反応するのを止めます。日頃、ネガティブな思考が止まらなくなったらそこでゲームオーバーだという気持ちで心を見張りましょう。ネガティブな思考が止まらなくなったらそこでゲームオーバーだというような自分ルールを設定しておきましょう。

 

そしてこれこそが正しいと主張することをやめましょう!見解への執着をただの執着であると理解して、他者の過ちをただ過ちとして裁かずに理解することに徹しましょう。見解の執着をただの執着であると理解をしましょう。そして裁かずに理解することに徹しましょう。

 

最後に

ブッダは宗教家ではなく、哲学者である

ブッダは、宗教ではなく哲学者です。宗教をはじめとする精神世界と、ブッダの思想の最大の違いは妄想に意味を見るかどうかです。仏教を前世や死後の世界を説くものと誤解している人も多いが、ブッダは一切そんなことは説きませんでした。その理由として確かめようのないことを追いかけても意味はなく、苦しみを解くのに役に立たないと述べています。ブッダの教えとは、苦しい現実を変えることでもなければ戦うことでもありません。せめて、苦しみを増やさず納得できる生き方をしようとする合理的な思考法を説いたんです。

 

この納得も主観的なものだから、自分で「良し」と思えればそれでいいんです。「良し」と思えればそれでいいので、快楽を求めるのも悪いことではないということです。むしろ、快楽は大いに求めていいということです。ブッダが言うには快楽は、大いに求めていいということです。ただ気をつけなければいけないのは快楽を求め過ぎて、焦りとか、不安とか、結果が出ないという不満になってしまうなら、その欲求はいったん手放さないといけないということです。

 

欲求によって傷ついているのか、欲求によって前向きになれているか、に注意をしなければいけないんです。その欲求によって傷ついているんだったらやめたほうがいいということです。自分の心を常に監視するようにして深いの感情が出てきたら妄想だと気づいて、その執着を手放すようにしましょう。動物らしく欲を求め、ただし執着はせずに幸せな心でいきましょう。動物らしく欲は求めていいんです。ただし執着はやりましょう。そうすることで幸せな心でいきましょう。というのが仏陀の教えです。

 

このようにブッダは宗教ではなくいかにリアルな世界で、快適に生きるかの哲学を磨いていました。ブッダは宗教ではなくリアルな世界で、快適に生きるための知恵を磨いていたんです。

 

 

最後にまとめです。

 

無駄な反応をしないこと

心の反応を見る

瞑想をするということ

良し悪しを判断しない

苦しみをもたらしているのは求める心だ

心とは求め続けるものだから満たされないのは仕方がないと理解する

これでいいのだと考える

世間は馬鹿ばっかりだという怒りの原因は、もっと自分を認めてほしいという承認欲求だ

心の状態にラベルを貼って理解する

苦しい時は目を閉じて、ただ体の感覚に意識を集中する

心の状態を貪欲、怒り、妄想の3つに分類する

心の内から生じる悩みを消すには、心の外にある体の感覚に意識を向けることがベストである

人が苦しみを感じるとき、その心には必ず執着がある

仕事がうまくいかない事実から、だから自分はダメな人間だと勝手に妄想するから傷つく

判断することで苦しみや生じるなら、その考え方をやめたほうがいい

判断から自由になるには、今判断した!気付くこと

正しさは人それぞれ違う

相手にとってはそれが正しいとただ理解する

ネガティブな思考が止まらなくなったら、ゲームオーバーというゲームをする

見解やの執着はただの執着だと理解する

快諾は大いに求めていい

ポジティブな気持ちになる欲はいいが、ネガティブな気持ちになるよくの持ち方はダメ

動物らしく欲を求め、ただし執着はせずに幸せな心で生きる

ブッダはリアルな世界で楽しく生きるための哲学を説いた

 

 

今回は以上です。

人年活きてきて、正しいと思っていたことが、正しくありませんでした。

今からでもやり直せると信じて、勉強を日々続けていこうと思いました。

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